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初めての寝台特急北斗星での北海道への旅

初めての寝台特急北斗星での北海道への旅

時は平成2年 かねてから乗りたかった豪華寝台特急北斗星に乗って北海道に行くという夢が実現しました。
寝台特急北斗星号は、今はもうすでに廃止となってしまい寂しい限りですが、
Youtubeでラストランの時の映像を見ると今でも初めて北斗星に乗って北海道に行った時の事を懐かしく思いだします。

1988年青函トンネルが開業し、寝台特急北斗星がデビューしてから乗ってみたいという希望がありましたが、
やはり当時はシルバーチケットと言われ寝台特急券の入手は困難というかほとんど無理な状態でした。
それから1990年のGWに休みとお金が出来て北斗星に乗るチャンスが訪れました。

しかしまだ北斗星は人気抜群で、「10時打ち」といって出発日の丁度1カ月前の朝早くにJRの発券をしてもらうという言葉が流行ったのはこの頃かと思いますが、
当時それをしても手に入れることはできませんでした。
発売時刻の午前10時発売と同時にすべて売り切れという状態でした。

その後みどりの窓口で、相談して「もしかすると乗車日の3日前にキャンセルが出るかも知れない」とのアドバイスをいただき、とりあえず別の列車をキープして帰りました。
さすがにGWでは無理かと思いました。
しかし奇跡が起こりました。仕事で片田舎に出張した時に、丁度3日前そこの駅で申し込むと何とわずか1席だけキャンセルがありました。
JRの端末に空きを示すOKという文字が出て、速攻で押さえてもらいまして見事北斗星ゲット!
駅の係の人も「北斗星なんて初めてとった」と驚いていまして「おめでとう!行ってらっしゃい!」と言われ感謝感激だったことを思い出しました!

余談ですがその駅とは俳優の田中要次さんが当時勤めていた駅だと後で知り感激しました。年齢も彼と同じなんです。
さて、上野駅地平ホームから北斗星に乗り込み気が付いたことがあります。乗客の多くは国鉄OBや関係者だったこと。
まあ私も親戚に函館ドック(青函連絡船関連です)の人がいましたが・・・

そして道中レストラングランシャリオでのパブタイムが21時からなのですが、
そこで、小樽ワインとチーズを頼んでほろ酔いになっていると60代と思われる夫婦と若いお嬢さんが相席になりました。
話を聞きくとやはり国鉄のOBとの事。みんな国鉄マンは列車が好きなんだなぁと思打ち感慨深いものがありました。

そうして夜が更けて私の寝台へ。私の席は4ボックス席でいわゆるB寝台2段ベッドですが、戻ると若い女性と小学生くらいの子供がいました。
そしてそこで話が弾んで楽しいひとときを過ごしましたが、その時子供が乗り物酔いになってしまい、慌てて私がビニール袋を差し出すというハプニングがありました。
そしてみんな眠りにつき、気が付いたら函館に朝の5時ころ到着して、同じボックスの3人は下車していきました。私はウトウトしていましたがまた深い眠りにつきました。

そして6時ころ寝台特急お馴染みの「ハイケンスのセレナーデ」のチャイムで目覚めました(チャララララララン♪チャララララン♪ってなるオルゴール)
起き上ってカバンから時刻表を出そうとまさぐると、そこには買った記憶のない東京タワーのキーホルダーが・・・もちろん行った記憶もないのですが?
と思ったらそういえば昨日まで一緒にいた女性の子供が酔った時に私が助けたやったお礼か!?と気づきました。
きっと私のカバンに気持ちを入れてくれたんですね。そんないい話が行の北斗星でありました。

ctwamcwp_k

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